こんにちはー!Romaです。
今回も、知っておくべきブルゴーニュの生産者を村ごとにご紹介させて頂きます。
第4回目は、モレ・サン・ドニ村です🍷
前回までの記事↓
実際にワイン好きの方やソムリエ仲間との
会話に頻繁に出る生産者をご紹介します!
この記事は、ワインの勉強を始めたばかりの方に向けて書いております。
ブルゴーニュラヴァーの方には物足りない内容かと思いますが、温かい目でご覧頂けたら幸いです^^
また、出来るだけ分かりやすくお伝えしたいと言う意図からカタカナを多く使用します。
カタカナで書く事により、どうしても文字数が増えてしまうため、以下の略語を使用させて頂きますので予めご確認下さい。
・モレ・サン・ドニ → M.S.D
・ジュヴレ・シャンベルタン → G.シャン
・シャンボール・ミュジニー → C.M
・ヴォーヌ・ロマネ → V.R
・グラン・クリュ(特級畑) → G.C
・プルミエクリュ(1級畑) → P.C
まずは、村の特徴から簡単にご説明させて頂きます!
それでは行ってみましょう!!
ブルゴーニュの銘醸として名高いコートドニュイ地区のほぼ真ん中に位置し、南北約1.2キロメートルほどのとても小さな村です。
有名なジュヴレ・シャンベルタン 村とシャンボール・ミュジニー村に囲まれているため、やや地味な立ち位置かもしれません。
昔からM.S.Dの村人たちは、どこかスポットライトを避けるような気質があり、内向的な性格だと言われています。
それが原因かは分かりませんが、原産地呼称が制定された1936年までは、M.S.Dで造られた葡萄のほとんどは買い付け業者に売られていると言う状況でした。
そして、なんとお隣のG.シャンやC.Mのワインとして名前が付けられて販売されていたのです。
今では考えられない事ですが、地域ごとに風土の違うワイン文化は、
原産地呼称制定によって守られてきたのです。
まだまだ歴史の浅い日本も、是非頑張って欲しいですね!
M.S.Dのワインは、コートドニュイを跨ぎ南北へ伸びる国道D974号線の西側、東向き斜面の中腹にグランクリュ が集中しており、肉付きのよく力強い果実味のワインを産出しています。(海抜280〜300m)
また、斜面下部にいくとプルミエクリュが集中しており、S.Mのワインを思わせるような柔らかで繊細なワインが生まれます。(海抜260〜275m)
土壌の特徴は、中腹は石灰岩と粘土石灰岩、
下方の傾斜に行くにつれて泥灰岩が多くなるぞ。
◎モレ・サン・ドニ村のG.C(特級畑)
①クロ・ド・ラ・ロッシュ
②クロ・サン・ドニ
③クロ・ド・タール
④クロ・デ・ランブレイ
⑤ボンヌ・マール
※③は単独所有畑
※⑤は隣の村、C.Mにも跨る。約15haある畑のうち1.52haがM.S.D村に属する。
③のクロ・ド・タールは、長年モメサン家が単独所有してきました。
しかし、2017年ヴィンテージより、ボルドーのシャトー・ラトゥールのオーナー、フランソワピノーに買収されて話題となりました。
さて、ここからは本題に入り、覚えておくべきM.S.Dの生産者を紹介させて頂きます。
今回ご紹介する生産者以外にも良い造り手の方は沢山おられますが、今回の記事はブルゴーニュ入門編として書かせて頂きます。
ワインを覚えたての方にとっては多くの生産者を並べると混乱の元となり、結局どの造り手が大事なのかが分からなくなってしまいます。
私自身も初めは色々な本を読んで覚えようとしましたが、かなり苦戦をした経験があります。
そのような理由から今回は2人の生産者に絞ってご紹介をさせて頂きますので、ワイン生産者を覚える第一歩としてこの記事がお役に立てれば幸いです。
クロ・ド・タールG.Cとクロ・デ・ランブレイG.Cに関しては、それだけで1記事を書けてしまうボリュームとなるため、 今回は除外させて頂きます。
また別の機会に分かりやすく解説したいと思いますので、乞うご期待下さい!
では参りましょう!
M.S.D村でまず浮かぶ生産者と言えばこの人。ドメーヌ・デュジャックです。
元々銀行マンであった若き当主ジャックセイスは、他の有名ワイナリーでの修行経験があったこともあり、父親が経営していたビスケット製造会社を売却してM.S.D村に小さなワイナリーを購入。
1967年にドメーヌデュジャックを設立します。
ビスケット製造会社は、オレオやリッツで有名なナビスコに売却されました。
ちなみにナビスコは「ナショナル ビスケット カンパニー」略だそうです。
1973年、ジャックセイスは、葡萄収穫の手伝いをしに来ていたアメリカ人のロザリンドと結婚し、3人の子宝にも恵まれます。
少しずつ欲しい畑を長年かけて買い足し、今や名だたる畑を切り盛りする大ドメーヌにまで成長しました。
ジャックセイスがたった一代で築き上げたデュジャックは、
これまで無名だったMSD村を一気に有名にしたことあり、
救世主とも呼ぼれておるぞ!
2005年頃から、息子のジェレミーとアレックがそれぞれ醸造と販売担当を行なっており、実質的には世代交代が進んでおります。
・モレ・サン・ドニ村の所有畑
1)クロ・ド・ラ・ロシュ(赤)
2)クロ・サン・ドニ(赤)
3)ボンヌ・マール(赤)
4)モンリュイザン(白)
・シャンボール・ミュジニー村以外
5)シャンベルタン(赤)
6)シャルム・シャンベルタン(赤)
7)ロマネ・サンヴィヴァン(赤)
8)エシェゾー(赤)
9)オー・グリュアンシェール(赤)
10)オー・コンボット(赤)
11)オー・マルコンソール(赤)
12)レ・ボーモン(赤)
※赤字が特級畑 ※青字が1級畑
※村名以上の広域を除く
※⑤、⑥はG.シャン ※⑦、⑧、⑪、⑫はV.R ※⑨、⑩はC.M
1987年から減農薬栽培に転向し、2001年からは徐々に有機農法を実践しています。
そしてデュジャックは、葡萄の枝を全く取らずに醸造する全房発酵を好む生産者です。
その理由は、枝から必要な成分を抽出する為だけで無く、除梗機(枝を取り除く機械)を使用する際に葡萄が傷つくのを避ける為でもあります。
デュジャックのワインは、華やかな香りを持ち、絹のような滑らかな触感で、長い寿命を持つ事で知られています。
デュジャック香と呼ばれる、松茸にも似た香りが特徴的じゃ!
あぁ〜誰か飲ましておくれ〜!(笑)
もう一人の生産者は、老舗名門ドメーヌのポンソです。
1872年、ウィリアム・ポンソがサン・ロマン村からM.S.D村に移住し、葡萄畑を購入しました。
1920年からは、従兄弟のイポリット・ポンソが跡を引き継ぎ、息子のジャン・マリーポンソも1942年から稼業に加わります。
ジャンマリーはM.S.Dの村長を務める顔も持っておったぞ!
ポンソはこの頃のM.S.Dでは珍しく、1934年からは
全てのワインをドメーヌ元詰めで作っています。
1958年からはジャンマリーの息子であるローランが加わり、1980年代後半にローランに世代交代を成されました。
このローランポンソが大変個性的な造り手で、殺虫剤を使用せずに葡萄を作っていますがあえて有機農法は謳わず、ワインの酒質を安定させるために必要な亜硫酸(酸化防止剤)もほとんど添加しません。
また、現代のワイン造りにおいて、通常は選果台というベルトコンベアーを使い悪い葡萄の実を弾いたりするのですが、ローランはそんなものは使用せず、全てを畑で行います。
・モレ・サン・ドニ村の所有畑
1)クロ・ド・ラ・ロシュ(赤)
2)クロ・サン・ドニ(赤)
3)モンリュイザン(白)
・シャンボール・ミュジニー村以外
4)シャンベルタン(赤)
5)シャペル・シャンベルタン(赤)
6)グリオット・シャンベルタン (赤)
7)レ・シャルム(赤)
※赤字が特級畑 ※青字が1級畑
※村名以上の広域を除く
※P.Cキュヴェ・ザルーエット(畑名では無い)は、①の若木から作られる
白ワインのモンリュイザンP.Cは、1911年に植樹された
樹齢100年にもなるアリゴテを使用した取っても珍しいワインじゃ!
ローラン・ポンソの造る葡萄は、コートドニュイ地区の中で収穫時期が一番遅いことでも有名で、葡萄の枝は全て取り除かれ、その後のアルコール発酵においても、ほとんど自然任せに発酵を促します。
熟成には新樽は全く使用せず、10年以上経った樽のみを使用し、中には30年以上経過した樽も使用されています。
そんな、ワイン造りにおいてもこだわりの強いローランゆえに、別の顔も持っています。
皆さんは、2008年にワイン業界を揺るがした「ルディの偽造ワイン事件」をご存知でしょうか。
インドネシア国籍のルディ・クルニアワンが、偽造高級ワインを大量に造り、オークションなどで販売していた事件で、現在分かっているだけでも被害総額は120億円、今なお600億円以上のワインが世に出回っていると言われています。
その中に、ドメーヌ・ポンソが造るクロサンドニG.Cの、初ヴィンテージであるはずの1982年以前のものが見つかり、ワイン偽造業者を突き止めようとローランは勢力的に活動を開始。
現在の技術を持ってしても、偽造ワインの製造業者までを突き止める事は至難の技だそうですが、偽造防止のために温度センサー付きのラベルや独自の合成コルクの開発など、革新的な技術を取り入れてブルゴーニュ全体の引率者となっています。
ワインの中身は抜栓するまで分かりませんが、現在の技術では、
ボトル瓶の生産された年を断定出来る技術はあるそうです。
そんな異端児とも呼べるローランですが、物語はここでは終わらず、近年、ワイン業界には衝撃が走りました。
なんと、ローランが2016年ヴィンテージから独立し、ドメーヌ・ポンソは、2017年から妹のローズマリーが代表となりました。
本人からは語られてはいませんがこの背景には、ブルゴーニュでは切っても切れない、畑の相続問題が要因だと言われています。
ブルゴーニュでは、父から子へ相続される遺産となるものは、多くの歴史を踏んできた畑そのものです。
お金ではありませんから、相続の際には畑の良し悪しによって問題が生まれやすいのです。
例えば今回のドメーヌ・ポンソの例で言うと、相続の際には4人の相続先がいるため、ローランが先導して信念を込めて造ってきたワイン(畑)が、他者に相続されてしまうと大きくスタイルを変えかねません。
自分が生涯をかけて世に産んできたワインへの考えや方向性が、自分の代で失われる可能性があると言う事です。
今回ローランが独立を果たした事で、将来自分が相続する側に回った時には、自分の信念を息子についで、培ってきた技術も守る事が出来ると言うわけです。
ブルゴーニュでは、多くの生産者が、自身の家族名義の畑(ドメーヌ)とは別に、買付葡萄でワインを造るネゴシアン業も並行して行っています。それには、こう言った背景が大きく関係しているのだと思います。
◎モレ・サン・ドニ村の知っておくべき生産者
1)ドメーヌ・デュジャック
2)ドメーヌ・ポンソ
◎ニュイ・サン・ジョルジュ村の特徴
・有名なG.シャン村とC.M村に囲まれている
・G.Cは肉付きが良く力強い味わいのものが多い
・P.CはC.M村を思わせる繊細で柔らかな味わいのものが多い
さて、如何でしたでしょうか。
今回は、まず最初に知っておくべき生産者、モレ・サン・ドニ編ついてお話をさせて頂きました。
最後になりますが、今回も記事を書くにあたり、参考にさせて頂いた書籍は以下の通りです^^
ありがとうございましたm(_ _)m
◎参考書籍
今日もどこかでサルーテ🍷
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